プリスクールは意味ない?【英語以外にあるプリスクールに通う意義】

プリスクールは意味がない?プリスクールで得られるものについて


現在2才になる娘はインターナショナルプリスクールに通っています。2才のお誕生日が過ぎてから入園し、かれこれ半年が経とうとしています。実際にプリスクールに通っている立場から、プリスクールの有用性について考えてみたいと思います。

プリスクールは通う意味はない?

おそらくプリスクールに通う意味がないと考えている人は、プリスクールに英語力の向上を期待されているのだと思います。そしてそれに見合う効果が得られない場合もあるため、通う意味がないのでは?という考えに至るのだと思います。

しかしその点について娘の話をすると、英語力は上がりました。プリスクールに通うようになってから、口から言葉が出るようになりました。(もちろん英語です)

プリスクールに通うまでは、ほとんど日中を私と二人だけで過ごしていました。そのため何かを求めるときは、常に「ママ!」という一言で要望が通っていたので、それは娘にとってあまり良い環境ではないなと思い、プリスクールへの入園を検討し始めました。

プリスクールでは、先生やお友達に自分の要望を言葉にして伝えなければいけません。そのような環境下で過ごすことになった娘は、徐々に自分の思うことを言葉にできるようになりました。

そして今では「Yes, No」はもちろん、「mama, sit down please」「let's clean up」と知ってるワードを適切な場面で使えるまで成長しています。

結果的に英語力にも良い効果が得られていますが、私たちは英語力を伸ばすという観点でプリスクールを選択したのではありません。むしろ英語力以外の部分を考慮してプリスクールに通うという選択を取りました。

私たち夫婦が考えるプリスクールに通う意義

日常に英語がある環境を与えてくれる

娘が生まれたら色んな国に連れていってあげようと思っていましたが、すぐにコロナ禍に入ってしまい、その機会を未だ得られずにいます。そのため日本にいながら日本語以外の言葉が聞こえる環境を作りたいなと考え、その実現にプリスクールという場を利用しています。英語力を伸ばすというよりも、体験重視。世界の多様性を肌で感じられることを大切にしています。

様々な背景を持つ人たちから異なる価値観に出会える

実際に娘が通っているプリスクールには欧米はもちろん、インドや中国など様々な国籍の子たちが集まっています。ランチの時間には異なる趣のお弁当が集まり、遊びの中でも日本人同士にはない考え方に出会うことが想定されます。そういう多様な価値観に出会うことで、自分はどう思うのか、どう考えるのかと自身に向き合うチャンスや、自分らしさを育む機会を得ています。

家庭の教育方針を貫くことができる

色んな国の子たちが集まっているだけあり、プリスクール側のルールに関しての寛容度が高いように思います。登園時間は決まっているものの、実際に登園してくる時間はバラバラだったりします。我が家も前日の就寝時間が遅くなったときは遅れて登園していますが、取り立てて注意を受けたことはありません。

プリスクール側の異なる価値観を受け入れる器を感じるので、こちらも安心して自分たちの教育方針を貫くことができます。強制されたり、制限されることもないので、そのあたりの自由度も我が家の意向に合致しています。

結論

プリスクールはとても有意義な場所で、私たち夫婦も概ね満足しています。英語が聞こえるような環境を手にするには、どうしても外国人の人が集まるイベントなどを探す必要があります。しかしプリスクールに入れば、その目的はすぐに達成されるので、その点においてはお金を出す価値は十分にあると思っています。

どうしても日本人だけのカルチャーにいると、日本の常識=自分の常識になりがちです。しかし違う文化の価値観に触れることで、必然的に日本の常識に対して疑問が生まれたり、自分はどう思うか、何を選択するかという問いにぶち当たることとなります。

娘がその問いにぶち当たることが、プリスクールで得られる最大の価値だと私たちは考えています。娘にはこれからもどんどんその問いにぶつかって、自分の中の軸を構築してもらえればなと思っています。

プリスクールは意味がない?プリスクールで得られるものについて

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